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山口百恵 デビュー当時は目立たない存在

1972年12月、オーディション番組スター誕生!で「回転木馬」を歌い、準優勝。1973年5月21日に「としごろ」でホリ・プロからデビュー、当時のキャッチコピーは「ひとに目覚める14歳」でした。

「としごろ」でデビューした当時は比較的目立たない存在でした。

事実、デビュー曲のレコード売り上げ枚数を良きライバルである桜田淳子、森昌子と比較してみると

桜田淳子 「天使も夢見る」(1973年2月)・・・・15万枚  森昌子 「せんせい」(1972年7月)・・・・60万枚

対し、山口百恵の「としごろ」はわずか8万枚と決して華々しいデビューではありませんでした。

が、2作目の「青い果実」から一連のアイドルとは一線を画し、年端のいかない少女が性行為を連想させる際どい内容を歌うという、いわゆる青い性路線になってから人気がでてきます。

この青い性路線への切り替えが後のスーパースター山口百恵を生んだと言えるでしょう。

当時としてはとてもセンセーショナルな存在で、もし一連のアイドルと同じように清純路線で行っていたらこれほどのスーパースターとして扱われなかったかも知れません。

そしてあの「♪あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ〜〜」で有名な「ひと夏の経験」をリリース。

今聞けば大したこともないのですが、当時はかなり物議を醸し出しました。

当時山口百恵は中3、見た目は純朴な少女歌う内容とのギャップが受けて「ひと夏の経験」が大ヒット、不動の人気を獲得していきます。
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